微笑みと肖像権とストリートフォトグラフィ

昔、ストリートフォトを始めた頃に何かの本で読んだ極意が「微笑み」でした。
外を撮り歩いている時、ボクが一番撮りたくなるのは人間です。もちろん赤の他人。
そうして他人を撮るとき、「写真を撮らせてください」と言って撮る場合と、まずは撮ってしまう場合があります。 相手に知らせず撮ったときには、相手に写真を撮ったことを知らせる場合と知らせない場合があります。 知らせなくても気づかれる場合も当然ありますね。

これが、群衆とまではいかなくても多数の人間が画面にはいるような写真ではあまり問題にもなりませんが、1人か2人などの、かなり特定の人間を撮影する場合には難しいハナシとなってきます。 日本には明文化された法律の条文はありませんが、写真を撮られない権利、自分の写真を承諾無く使用・公開されない権利があると広く考えられています。いわゆる「肖像権」というやつです。

この、「考えられている」というのが判例主義の実態だと思うのですが、要するに非常にグレー。 あくまでも、そうされないよう主張する権利である、というところがまたグレーなのでありまして、はなからダメなのではなく、「ダメと言われたら即座にやめる」と言うのがフォトグラファー側のすべき事だと考えられます。

個人の権利の保護が進んだアメリカでは、公共の場で他人の写真を撮ることは基本的にOKなんだそうです。 公共の場では、「撮影者の撮影する権利」がしっかり存在する。
日本では、公共の場で公然の行為を行っている場合、特に撮影されることが充分考えられる場合には、プライバシー権が守られないこともあるという、これまた実に曖昧な考え方です。
街にはストリートフォトグラファーがいるから街を歩けば写真に撮られる可能性がある、とまではさすがに裁判所の判例で触れることはないでしょうが、近年問題になっているカメラ付き携帯の悪用で面倒なことになることはあるかも知れません。
なんにしても、これは欧米でも日本でも同様ですが、営利目的に写真を使用するのか非営利なのかは、十分に考慮されてしかるべきでしょう。

結局のところ、街で人の写真を撮るのはダメとも考えられるしOKとも考えられるのですが、何が何でもダメとなるとまず街の写真は撮りようがない。 人のいない都会を撮影するのは非常に難しいし、人がいてこその街という捉え方も当然あるわけです。

ボク個人の考えもやはりグレーなのですが、ポリシーみたいのがあるとしたら基本的にはこうです。
とはいえ、ここにも「と考えられる」がしっかり入り込んでいて、実際にどうかはわからないわけです。
駅前の群衆を撮ったところ、その中に待ち合わせしていた会社役員と愛人が写っており、何かの拍子に奥さんがボクの写真を見て家庭崩壊。 何て可能性も絶対にゼロではない。
ボクは、とある会社役員風の男性がたまたま横にいた全くの赤の他人である女性と不倫関係にあるかのように見える写真を意図的に撮ろう、などとはとは思わないわけですが、それでも、どこぞのカップルが写っている写真というのは結構気になったりします。 何かの拍子に本命彼女がボクの写真を見てモメたらゴメンね、ってな感じですね。

先に挙げた例はヘンな例かもしれませんが、要するに、自分の良心と常識とに鑑みて不適切でない写真なら、赤の他人がが明確に写っていようがなんだろうが、ボクはOKだと思うのです。


とは言うものの、写真を撮られるとは思ってなかった人が外を歩いていて、明らかに自分を被写体とする写真を撮られたら気分を害するケースは当然ありますよね。
ボク自身は写真を撮られることも大好き(誰も撮ってくれないけど)なのですけど、嫌いな人もたくさんいるし、「なんだよウゼエな」と怒る人もいる。
裁判になれば撮影者に有利(撮影する権利がある)なアメリカでも、ストリートフォトでは撮影者と意図せぬ被写体との間にトラブルはあると言います。なにやら曖昧な肖像権があると考えられている日本でも同様です。
幸いなことに、ボク自身はまだ撮影した相手に殴りかかられたことはありません。 あんまりヤバそうな人相の人は撮らないのは勿論ですが、特定の人物が明確な主被写体で、状況が被写体に不利益である事が明白な写真を、相手に気づかれないように撮ったこともあまりありません。
かと言って「写真を撮らせてください」と頼んでから撮ることも非常に少ないです。

画面内で不特定多数としかならない写真はともかく、明らかな主被写体が存在する写真で一番多いパターンは
どちらも、撮ることを相手に明確に承認してもらっているわけではなく、暗黙の了解という「グレーなもの」を得てから撮っているわけです。
いずれにしてもグレーな領域なので、権利も承認もグレーにやるわけ。

難しいのは、明確な主被写体がいて、写真からその人物が容易に特定できる場合で、なおかつその人物が「撮られていることを意識していない写真」が撮りたいときです。
相手が気づかなかった場合、ボクは撮った後に「撮らせていただきました」と伝える事はしないでいます。 その写真が被写体の名誉を傷つけるモノなのかどうか、使用したり、あるいは公開したりすることが適当なのかどうかは、自分の良識と常識で判断すればよい範疇だと考えるからです。 そうした判断というのもストリートフォトグラフィの重要な要素だと思います。

相手が「撮られた」ことに気づいた場合の反応は、経験上、ほとんどは少々驚いた様子を見せるかまったく気にしないかで、まれに何事かと問いかける表情を見せるくらいですが、そんなときに、「微笑んで立ち去る」間合いこそが極意なんだと思っています。
トラブルにせず、かといって深入りもせず、それでも相手に不快な思いを残させないよう、微笑む。
肖像権というのが撮る権利を規制するモノではないとか、こっちは芸術活動だとか、訴えるなら訴えろとか、そういう発想は嫌いです。

なるほどたしかに、事後であろうと相手に知らせ、写真を使用するなら許可を得るのがもっとも望ましいわけで、モデルリリース云々という意見も多々耳にします。
ですが、あくまでもボク個人の考え方としてですが、この微妙で曖昧な他人との関係を失いたくないと思ったりもするわけです。 他人同士が行き交いすれ違う街って、そういう微妙で曖昧な関係で成り立ってると思うんです。 街で写真を撮るというのは、そういう人間同士の距離感をも撮っているんだろうと思うんです。


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